雨やどり
創作オリジナル、児童文学、小説、ショートショート、エッセイ 「創作の部屋」
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「雨やどり」

 その日の朝は、快晴だった。
学校で、この夏最後のプールがあった。
準備体操が終わって、先生が
「今日は6年生にとって、小学生最後のプールだ。だ・か・ら・・・自由に遊んでいいぞー!」
と大きな声で言った。
「ヤッホー!」
「鬼ごっこしようぜ!」
 だらけた準備体操のときとは別人のように、みんな大はしゃぎになった。
もちろん、ボクも。

 先生が「だ・か・ら・」と言ったときは、一瞬焦った。
6年生になってから、何かと
「もう最高学年なんだから・・・」とか
「6年生になったんだろう」
と言っては、先生や親たちは、ボクたちに何だかんだと責任を押しつけて
くるんだ。

 だから今、ボクの胸は空高く飛び上がっていく気分だ。
「ヨッシャー!」
つい、はしゃぎすぎた。
ボクは、そのままプールに飛び込んでしまった。

ピピピーッ!先生が思いっきり笛を吹いた。
「雅也あがれ!飛び込みは禁止だろ、5分間プールサイドで立っていなさい」
女子が、クスクス笑った。
「ちぇっ」
ぼくは、調子に乗りすぎてしまうところがある。

 5分間は、長かった。
 それでも目の前に飛んでいるトンボを眺めていると、いい暇つぶしに
なった。
 そのトンボは、ボクの足もとにたまった水たまりで遊んだり、プールの水面を飛びはねたり、落ち着きがない。
まるでボクだ。
でもボクと違うのは、トンボは飛びたいところへ飛んでいけることだ。


 遅くなったけど、ボクの名前は、山田雅也。
小学6年生。
お父さんとお母さん、それに生意気な妹と住んでいる。

 公団住宅に住んでいたんだけど、つい最近、一戸建てに引っ越してきた。
学区内での引っ越しだったから、転校せずにすんだ。
 変ったことといえば、自分の部屋ができたこと。
これは、かなり快適。
妹と一緒のときは、何をしていても邪魔された。

 それから家の周りには、空き地がけっこうある。
いずれ、建て売り住宅を作るんだろうけど・・。
今のところ、キャッチボールをして遊んでも大丈夫。
ひぐらしの鳴き声が聞こえたり、トンボもいろいろな種類を見かける。


「雅也、入っていいぞ」
いつの間にか、先生がボクのとなりに来ていた。
「ヤッホー!」
おっと、また飛び込みそうになった。
今度は落ち着いて、つま先から、ゆっくり水につかった。
「気持ちいいー」
鬼ごっこをしていたクラスの男子の仲間に入れてもらった。



 午後の授業は何も身に入らない。
プールで遊び疲れた。
空もどんよりとしてきて、何度も眠気におそわれた。

「雅也、寝るな!」
先生がボクの席まできた。
「ボク、寝ていません。考え中です」
「ウソ言え、お前は食べてるときと、居眠りをしているときは静かなんだ」
先生が言うと、クラス中がドッと笑った。
ボクも手をたたき、納得のうなずきをした。
みんなの笑い声で、眠気がふっとんでいった。



 下校途中、雨がポツリと落ちてきた。
ボクは、走った。
でも、それからすぐに、大粒の雨がザーッと降ってきた。
少し待てばやむだろうと思って、近くの公園で雨宿りをすることにした。

 この公園にはブランコ、滑り台、古タイヤなどがある。
ボクは、プラスチック製の小さな家の中に入った。
誰かが忘れていった、おままごとセットと、おもちゃのショベルカーがあったから、それで遊んで暇つぶしすることにした。

 シャベルで山を作ってから、ショベルカーで、その山を崩していく。
そんなことを繰り返していると、
「オレも入れて」
と声がして、体格のいい男の子が入ってきた。
「雨やまないな、わぁ、その車カッコイイ、ちょっと貸してくれ」
その子は何の遠慮もなく、ボクが持っていたショベルカーをとって遊び始め
た。
急に居心地が悪くなってきた。
雨、早くやまないかな。家に帰りたい・・・。

「オレ、武男。12歳だ。お前は?ここらじゃ見ない顔だな」
武男は、ボクが作った山をショベルカーで壊しながら話しかけてきた。
そっちこそ、ここら辺で見ない顔じゃないか、小学校も違うな。
「ボクは雅也。12歳。この公園の隣り、亀山さんちの向こう側に引っ越してきたんだ」
亀山さんというのは、ここら辺の地主さんで、ボクの家やその周りの建て売り住宅は、亀山さんが売った土地に建っている。
 亀山さん自身は、ボクん家が20軒建つぐらいの広い敷地の中に住んでいる。

「あー、あの掘っ立て小屋が、何軒か建ってる辺りか〜。お前んちも大変だったろ」
武男は、何の悪気もない調子で言った。
”掘っ立て小屋!”何て事を言うんだ。
ボクのお父さんが、30年ローンを組んで買った家を!
 お父さんは、「清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入を決めたんだ」
と誰にでも言っている。

 ボクだって、自分の部屋を持てる代わりに、自分で部屋を掃除すること、お小遣いは当分値上げをしないこと、朝は自分で起きてくること、を両親と約束したんだ。

 お母さんは、念願のガーデニングを楽しんでいるし、幼稚園児の妹が、ちょっと遊ぶぐらいの庭だってある。
 そのわが家を、”掘っ立て小屋”と呼ばれて、腹を立てずにはいられない。

もしや、この武男って子、亀山さんちのような大きい家に住んでいる金持ちの坊ちゃまなのか?
それにしては、着ている服はボクのよりみそぼらしいぞ。持ってる手提げ袋だってヨレヨレだし・・・。半ズボンに白いランニングシャツ、こんなショベルカーのおもちゃに夢中になっているし・・・。もしや、家にはリモコンカーしかないのかな?最新のゲームばかりあって、こういう砂遊びが、かえって珍しいのかも・・・。小学校も違うし、公立じゃなくて金持ちの子が通う私立に通っているのか?

「武男くんの家は、どこなの?」
「オレんちは、お前んちと反対側、畑の隣りだ」
武男が、自分の家がある方を指さした。
その指の先を見ると、外は明るくなって雨がやんでいた。


「雨やんだみたいだから、ボク、家に帰るよ」
「オレも帰らなきゃ。これ、ありがとな」
武男が、ショベルカーを差し出した。
「それ、ボクのじゃないんだ。ここに置いておけばいいさ」
ボクがそう言うと、武男はショベルカーをじっと眺めてから、手放した。

 ボクに続いて、武男が外に出た。
顔を上げた瞬間、ボクが見たものは、木造の小さな家が所々にある灰色の光景だった。
「ここはどこ?」
ボクは思わず、声に出した。
ぐるりと、ひと回りしても見覚えのない景色ばかり。

「雅也、寝ぼけてるんじゃないか?ここの木が沢山ある家が亀山さんの家。この長い垣根に沿っていけば、最近掘っ立て小屋が何軒か建ったところに着くぞ」
また掘っ立て小屋なんて言ってる!

 少し腹を立てているボクの腕をグイッと武男が握って引っ張った。
「痛いっ!何するんだよ!」
「俺が連れてってやるよ」
ボクは武男に引っ張られながら、亀山さんちの垣根沿いを歩いていった。
武男の言う通り、家とは呼べない、まるで小学校のウサギ小屋のような建物が何軒かあった。


「ホラ、着いたぞ。じゃあな」
武男は、僕の腕を放した。
「待って、違うんだ。ボクの家は、ここじゃないんだ」
慌ててボクは言った。
「なんだ、じゃあ、どこなんだ」
武男に聞かれ、ボクが困っていると
「あ〜、お前、孤児なのか?家族、探しにきたのか?戦争が終わって1年過ぎた頃から、前、ここら辺に住んでいた人が、戻ってくるようになったんだ。
やっぱり元々住んでいた土地が、いいもんな。お前、一人で来たのか?」

 ボクは最初、武男の言っている意味がよく分からなかった。
キョロキョロ辺りを見渡しているうちに、夏休みに見た戦争の映画を思い出した。
 もしかして、ここは戦後の日本?・・・そうだとすれば、ボクはタイムスリップしちゃったわけ!?
「一人で、おじさんを訪ねてきたんだ。でも会えなくて」
とっさにウソをついた。
「そうか、そんならオレの家に来い。母ちゃんに、お前のおじさんのこと聞いてやるよ」
ボクたちは今来た道を戻って、公園を通り抜けた。
 よく見ると、プラスチック製の小さな家は、いつの間にか畑の中にある木造の小屋になっていた。

武男は家までの道のり、一人しゃべり続けた。
「戦争が終わっても、オレの父ちゃんは、戦地からまだ帰ってこないんだ。
きっと帰ってくる。母ちゃんは、そう言って、毎日がんばってる。母ちゃんは亀山さんの畑仕事を手伝ってるんだ。オレは、弟や妹の面倒を見てるし、人手が足りないときは、オレも畑を手伝ってるんだ」


武男の家は、畑の隣りにあって、掘っ立て小屋よりは家らしかった。
「この家も、亀山さんから借りてるんだ」
扉を開けると、武男の弟と妹が走ってきた。
「兄ちゃん、どこ行ってたんだよ」
「ごめん、ごめん。雨が、なかなかやまなかったから。ホラ、これ土産だぞ」
武男は手提げ袋から、さっきのショベルカーを出し、弟に渡した。
「スッゴーイ、カッコイイ」
弟は、早速、畳の上で遊びはじめた。
「私に、お土産は〜」
妹に言われて、武男が困ってしまった。
ボクは、とっさに自分のランドセルから犬のマスコット人形をとった。
「いいのか?」
武男が、申し訳なさそうな顔をした。
「うん、ハンバーガーやさんの景品でもらったのだから、気にしないで」
「ハンバーガーやさん?」
「あっ、はんこうやさんだよ」
と言い直した。

「お前、いいやつだな。こんなに可愛い人形を景品でもらえるわけないさ。
ありがとうな」
武男に言われて、ハッとした。
こんなマスコット人形、うちのおもちゃ箱の中には沢山ある。
新しいのが、どんどん増えて、いつの間にか下の方に入っているのは、顔がペチャンコにつぶれている。
お気に入りのは、ランドセルに付けたりするけど・・そう、ちょうど今あげたのは、ちょっとお気に入りのだった。

「別に気にしなくていいよ・・・。武男くんの家に連れてきてもらった、お礼のつもり」
「困ったときは、お互い様だ。それから、オレのことは武男でいいぞ。弟は
将男、妹は勝子だ」
 弟のショベルカーに妹のぬいぐるみを乗せ、二人仲良く遊んでいる。


「あっ、母ちゃんが帰ってきた」
武男が言うと、弟と妹は、お母さんのところへ走っていった。
「母ちゃん見て、この車カッコイイでしょう」
「私のシロ見て!」
妹は、あのぬいぐるみにシロって名前を付けたらしい。
「はい、ただいま。どうしたんだい、こんなにいいもの」
お母さんは、不思議そうに眺めた。
「兄ちゃんのお土産だよ」
「兄ちゃんの友だちが、くれたんだよ」
弟と妹が、飛び跳ねながら説明した。

お母さんは、武男の方を見た。
「母ちゃん、この子は雅也。畑の小屋で一緒に雨宿りしてたんだ。おじさんを探しに来たんだけど会えなかったから、オレんちに連れてきた。車も犬のぬいぐるみも、雅也がくれたんだ」
ショベルカーは、武男が勝手に持ってきたんだろう!と心でつぶやいた。

「雅也くん、ありがとう。どこからきたの?」
「東京からです」
ボクは、とっさにウソをつける。
「東京の空襲は、大変だったでしょう」
ボクは、学校で習ったことを必死に頭の中でグルグル回した。
「はい、でも子どもは田舎に疎開してました。帰ってきても、お母さんに会えなかったので、おじさんを訪ねて、こちらに来ました」
ウソばかりついていると、まるでウソが本当のことのように思えてくる。

「うちも大したものはないけれど、おじさんのことが分かるまで、ここにいていいからね」
武男のお母さんは、ボクのウソを少しも疑う様子もなく、優しい笑顔でボクを見つめた。
「雅也、よかったな。じゃあ早速、飯を炊く準備だ」
ボクは、武男の言う通りに動いた。

 武男は同じ年とは思えない、手際良く火をおこし、ご飯を炊いた。
夕飯は、茶色っぽいご飯と野菜のみそ汁だった。
ご飯が茶色っぽいのは玄米だからというのは、後で知った。


「今日は亀山さんちで、お風呂をもらえる日だから」
とお母さんが言った。
ボクは良く意味が分からないまま、みんなについていった。
みんなと一緒に、亀山さんちのお風呂に入った。
 ボクは小学4年生になった頃から、一人でお風呂に入るようになった。
周りの友だちが、いつまでお母さんや妹と一緒に風呂に入ってるんだって、からかったから。
 武男の家族と一緒のお風呂なんて、ちょっと恥ずかしかったけど、そう思っているのは、ボクだけみたいだった。


 誰の、とは決まっていない布団に、みんなで寝た。
ボクは、なかなか寝付けなかった。

 雨宿りに入った公園にあるプラスチック製の家を出たら、突然、戦後1年
足らずの日本に来てしまったんだ。
何があったんだろう?
どうしてタイムスリップしちゃったんだ?
ボクは、ボクの時代に戻れるのかな?
せっかく自分の部屋ができたのに・・・。
お父さんとお母さん、心配してるだろうな。警察に捜索願出してるかな?
妹の里奈は、お兄ちゃん、どこ?って言ってるかな?



 次の朝、ボクは1番遅くに目を覚ました。
そっと、ふすまを開けた。
 将男と勝子が、はしや茶碗を並べている。
「おっ、起きたか。今、起こしに行こうと思っていたところだ」
武男が言った。
「よく眠れたかな?さあ、朝ご飯にしますよ」
お母さんが、鍋を持ちながら言った。
 ボクは朝ご飯まで、ごちそうになるのが何だか申し訳ない気持ちになった。
「あの・・ボクは、お腹空いていないので・・」
「何言ってるんだよ。ちゃんと食べとけよ。今日は、オレたちも亀山さんの家で手伝うんだ。腹減ってたら仕事できないぞ」
武男が、みんなの茶碗に汁をよそいながら言った。
田舎のお婆ちゃんが
「働かざる者食うべからず」って、よく言っていた。
 ボクにも手伝えることがあるんなら、少し気が楽になる。

「今朝は、スイトンよ。熱いから気を付けてね」
お母さんが言った。
「私、もう、スイトンあきた〜」
勝子が言うと
「ぜいたく言うな。でも今日の昼は、きっと握り飯だぞ。亀山さんちで仕事するときは、いつも白いご飯の中に、梅干しやおかかが入った握り飯だもんな」
武男が、うれしそうに言った。
「ボク、スイトン好きです」
ボクは、思わず大きな声を出してしまった。
夏休みに泊まりに行くと、田舎のお婆ちゃんが、よく作ってくれる。
小麦粉を水で溶いて作ったおだんごと、ナスやニンジン、ミョウガ、油揚げが入っている。
武男の家のスイトンには、おだんごとナスとミョウガが入っている。

「このナスは、ぼくが育ててるんだ」
将男が言った。
「このミョウガは、私が取ってきたよ」
勝子が言った。
「みんなで作って、みんなで食べれば、なんでもおいしいね」
お母さんが言った。
「お父ちゃんもいれば、もっとおいしいね」
勝子が言った。
一瞬、食事が静まった。
お母さんの顔も、ちょっと暗くなったように見えた。
「もうすぐ帰ってくるさ。さっさと食べて、亀山さんちに行かないとな」
武男が言った。
きっと武男は、お父さんが帰ってくるまで自分が、お父さん代わりをしているんだ、とボクは思った。
ボクと同じ年なのに、しっかりしてる。
ボクから見ても頼もしい。



 亀山さんちで、ボクと武男は納屋の片付けを手伝った。
新しく立派な納屋が建ったから、中の物を移動させたり、掃除をしたりした。
「すっげぇ〜」
最初に納屋に入った武男が驚いた。
「まだまだ物が足りない時代なのに、こんなに箱が重なってる。やっぱ、亀山さんちはすごいや」
武男は、心から感心している様子だった。
「オレも金持ちになるんだ。うんと働いて、でっかい家建てて、母ちゃんと将男と勝子・・それから、父ちゃんと暮らすんだ。その時は雅也も泊めてやるよ」
「おお、サンキュー」
「サンキューって、ありがとうってことだろ。そうだな、外国の言葉も勉強しなくちゃな」
頼もしい武男を見て、ボクは自分が情けなくなった。

 ボクは、いつもお父さんやお母さんにしてもらうことばかり考えている。
何か買ってもらうことばかり望んでる。
妹の里奈のことは、うるさいヤツ、一人っ子の方がよかった、なんて思ったりもする。


 ぼく達は、納屋にある箱を一つ一つ外に敷いてあるゴザの上に運ぶように指示された。
「お前の夢は何だ?」
武男が聞いてきた。
「夢・・・えっと・・」
ボクの夢は何だっけ?野球選手になりたいと思ったこともあったけど、
なかなかプロ選手にはなれないってお母さんに言われて、あきらめたんだよなあ。
「夢ないのか?」
武男が、もう1度聞いてきた。
ボクは慌てて
「野球選手」と答えた。

「オレも、父ちゃんとキャッチボールしたなあ・・・。母ちゃんが、グローブを縫ってくれたんだ。東京巨人の選手になりたいのか?」
「東京巨人?ああ、ジャイアンツ。そう、巨人の選手がカッコイイなあ」
本当は、メジャーリーグの選手にあこがれている。
「母ちゃんが縫ってくれたオレのグローブは、戦争で焼けちゃったんだ。当分、キャッチボールできないな」
武男は、寂しそうな顔をした。

 この時代は、グローブもお母さんが縫っちゃうんだ。すごいな。
キャッチボールできないのは、グローブを無くしたからだけじゃないんだ。
武男のボールを受け止めてくれるお父さんが、まだ帰ってこないんだ。
ボクは心で、そんなことを勝手に考えていた。

「カラーボールなら、素手でもできるよ。そこら辺探せば、カラーボールの1個や2個、落ちてるんじゃないか」
ボクは、武男を励まそうと思って言った。
「カラーボール?ボールなんて落ちてるわけないだろ!」
そうか、ここは戦後1年足らずの日本なんだ。
ボクの生まれた平成だったら、100円で買えるカラーボールなんて、公園の隅や草むらに1個ぐらい落ちている。

「あの、やわらかいゴムのボールだよ」
ボクが、言い直した。
「ゴムボールなんて高級な物ないさ。ズック布で母ちゃんに縫ってもらうよ」
ボールもお母さんが作るのかあ、この時代は何でも手作りなんだな。


 最後の箱を運び終わると、亀山さんの使用人頭で、山本さんというおじさんがやって来た。
「のど渇いただろ、一つづつ、お食べ」
と言って、トマトをくれた。
「ありがとうございます。いただきます」
武男は、しっかりと挨拶をした。
ボクは、ちょっとトマトは苦手だなと思ったけど、のどは渇いたし、朝のスイトンだけでは、おなかもペコペコになっていた。
武男が、大きな口を開けてカブリついているのを見て、ボクも
「いただきます」
と言って、一口かじった。
おいしい!甘い!
ボクの顔の変化に気がついたらしく、
「うちのトマトは、うまいだろ」
と山本さんが言った。
「はい、こんなにおいしいトマト、食べたのは初めてです」
ボクは、本心からそう思って答えた。


 次は、古い納屋の掃除を頼まれた。
当分、住み込みの若い人が、ここで寝泊まりするらしい。
 武男と一緒に、納屋をピカピカに磨いた。
 ボクは、自分の部屋も学校もこんなにキレイになるまで真剣に掃除をしたことはない。
体育館掃除のときなんて、ほとんど遊びみたいなものだ。


 お昼ご飯は、ゴザの上に座って武男の家族と一緒に食べた。
塩むすびと採りたてのキュウリに、お味噌を付けたもの。
武男は、塩むすびとキュウリを両手に持って、交互に食べている。
「おいしいね、兄ちゃん」
勝子と将男が、満面の笑みを浮かべながら、塩むすびをほおばっている。
その子どもたちをお母さんは、笑顔で眺めていた。

ボクは武男の家族を眺めながら、自分の家族は今どうしているだろう、と思って、少し暗い気持ちに襲われた。
「どうした、早く食べないと、お前の分もオレが食べちゃうぞ」
ぼんやりしているボクに、武男が声をかけてきた。
「こんなにおいしい塩むすび、あげるわけないだろ。味わってるんだ」
心配をかけたくないから、ボクは明るく答えた。
本当においしかった。
塩をふっただけのおむすびや、味噌を付けただけのキュウリが、こんなに
おいしいことに初めて気がついた。

「勝子は、何をしていたんだ?」
武男が聞いた。
「マー兄ちゃんと英男ちゃんと、おままごとして遊んでた」
英男ちゃんというのは、亀山さんちの息子らしい。


 お昼ご飯の後も、ボクと武男は手伝いをした。
使用人頭の山本さんと、午前中外に出した荷物を新しい納屋に運んだ。
新しい納屋に、すっかり片付けおえると、山本さんが
「武男ちゃんにあげて、って亀山さんがくれたよ」
と言って、何か渡した。
「あっ、グローブとボール。これ、海綿まりだ、これなら飛ぶぞ」
武男が、ボクにも触らせてくれた。
グローブは堅い布で縫った物、海綿まりというのは、スポンジの固まりのようなボールだった。
「本当にいいんですか?」
武男が聞いた。
「英男坊ちゃんに買った物らしいんだけど、坊ちゃんは外遊び、あまり好きでないからね。もったいないから、武男ちゃんにあげてって言われたんだ」
山本さんが、ニコニコ笑いながら答えてくれた。
「ありがとうございます。」
武男はグローブとボールを胸にかかえ、深々と頭をさげた。
「あげたのは亀山さんで、俺ではないからね」
と山本さんは、またニコニコ笑った。


 ボクたちは、畑へ行った。
武男が、お母さんのところへ走っていき、もらったグローブとボールを見せると、お母さんは近くにいた男の人に声をかけ、武男と一緒に頭を深々とさげた。
きっと、あの人が亀山さんに違いない。

武男が、ボクの方に走ってきた。
「オレたちは、勝子たちが遊んでいる庭に行くぞ」
そう言って、ボクの手を引っ張った。


 亀山さんの庭は、手入れが行き届いていて、静かで落ち着ける場所だった。縁側の前にゴザを敷いて、小さい3人が遊んでいた。
「兄ちゃん、それグローブか?」
おままごと遊びにあきた将男が、武男の姿を見るなり走ってきた。
「すごいだろう、海綿まりもあるんだぞ」
時計の振り子のように、左手のグローブに、まりを投げ入れながら武男が答えた。
「ボク、キャッチボールやりたい。座ったままの遊びなんてつまんないよ」
そう言ってから、ハッとして将男は英男の方を見た。
英男は少し寂しそうな顔をしたけど、勝子と一緒にお絵かきを続けた。

 英男は色白で、静かな男の子だった。
女の子の勝子と遊ぶのが、ちょうどいい感じだ。
 庭の隅の方で、ボクたちは代わる代わるグローブをつけて、キャッチボールをした。
 そんなボクたちの方を英男は時々チラッと見ているのが、分った。
武男と将男は、真っ白い歯を見せながら声を掛け合って、キャッチボールを楽しんでいる。

 ボクは、自分でも気がつかないうちに縁側に腰掛けていた。
お絵かきをする勝子を見て、妹の里奈を思い出していた。
ボクは、いつまで、この時代にいるんだろう。
平成の自分が生きていた場所に、戻れるんだろうか・・。
「英ちゃん、ただいま。かっちゃん、こんにちは」
女の子の声で、ボクはハッとした。

 後ろを振り向くと、髪の長い女の子が立っていた。
「お姉ちゃん、お帰りなさい。見て、ボクが描いたんだよ」
英男の絵を見て
「まあ、かわいい子犬」
と姉が言った。
「かっちゃんの子犬だよ」
英男が言うと、勝子がポケットから、ボクがあげた子犬のマスコット人形を出して見せた。
「まあ、かわいい。かっちゃん、これ、どうしたの?私もほしいなあ」
英男の姉が両方の手のひらに乗せ、大事そうに眺めた。
ハンバーガーやさんの景品が、こんなにも喜ばれるなんて、出来ることなら、今すぐボクんちのおもちゃ箱から、他のも持ってきてあげたい気持ちになった。

「たけ兄ちゃんのお友だちが、くれたの」
と勝子は言いながら、ボクの方を見ると、英男の姉も一緒にボクの方を
見た。
その時、初めてボクの存在に気付いたらしく、ちょっと、はにかみながら、
その女の子は軽く頭を下げた。
ボクも同じように、頭を下げた。
「私は、亀山トキ、10歳です」
「ボクは山田雅也、12歳です」
なんとなく、かしこまってしまった。

 その時、武男のお母さんが来て、ボクたちは亀山さんの家でお風呂を
もらってから帰ることになった。
昨日より恥ずかしくなくなっていた。
1日働いた後のお風呂は、なんて気持ちいいんだろう。

「今日は、みんなよく働いたね、亀山さんから、こんなに野菜をもらったよ」
お母さんはそう言って、袋の中を見せてくれた。
「母ちゃん、それ、オレが持つから、将男、お前は、これを持っていけ」
武男がグローブとまりを渡すと、将男は嬉しそうに笑顔で受け取った。
 ボクは、お風呂から出てお腹がペコペコだったけど、武男の姿を見ると、
自分も頑張って歩かなきゃ、という気持ちになった。

「あっ、トンボ」
勝子が、飛んでるトンボを指さして追いかけた。



 次の日、ボクたち子どもは、亀山さんの家に招待された。
なんでも英男の姉のトキが、昨日は留守にしていて自分だけ遊べなかったから、今日、ボクたちと遊びたいということだ。
 使用人頭の山本さんが、迎えに来てくれた。
「かっちゃんとマー坊は、リヤカーに乗ってもいいぞ」
山本さんは、近所に届け物があった帰り、ボクたちのところに来たらしい。
ボクと武男が、リヤカーの後ろから押した。

「シュッシュッシュッシュ」
将男は、機関車に乗っているつもりらしい。
「父ちゃんも機関車に乗って、行ったんだよね。早く帰ってこないかなあ。また駅まで行ったら、本物の機関車を見られるね」
お父さんが戦争に行った日のことなど、たぶん記憶にないだろう勝子は、ただ将男の言うことに「うん」と楽しそうにうなずいていた。
 リヤカーを押しながら、ボクはチラッと武男を見た。
今日は何もしゃべらない。ただ必死にリヤカーを押していた。


 トキが、玄関でボクたちを迎えてくれた。
「えっと・・・雅也さん、で当たってるわよね」
ボクは、とっさのことで、少しビックリしたけど
「ビンゴー!キミは、トキ・・さんだよね」
カイグリカイグリのように、両手をグルグル回してから、トキに向かって手を
さしのべた。
 静かな広い玄関で、一人はしゃいだボクの声が響いた。
「おもしろい。雅也さんは話す言葉も何もかも、少ずつ違うのね」
「雅也、行儀良くしろよ」
そう言って、武男がボクの背中を叩いた。

 今日の武男は、何だか表情が硬い。
「さあ、あがって下さい。中で一緒に遊びましょう」
トキが手招きをするので、ボクたちは靴を脱いで上がり、武男に習って
自分たちの靴をそろえた。
 スケートを やりたくなるようなツルツルの長い廊下を通って、ボクたちが入った部屋には、黒いピアノが置いてあった。
 トキは最近覚えたと言って、バッハの「メヌエット」を弾いてくれた。
なかなか上手だった。

 戦後1年経ったぐらいでも、お金持ちの家には、こんな立派なピアノがあるんだ。
 トキが勝子にピアノを触らせてあげると言うと、勝子は喜びながらも、少し緊張した顔でピアノの椅子に座った。
「かっちゃん、何の歌が好き?」
トキがきくと、勝子が
「赤とんぼ!昨日、私、赤とんぼを見たの」
と答えた。
 トキは勝子の指を持って、赤とんぼを弾き始めた。
勝子は、まるで自分で弾いているようで、床に届かない足をブラブラさせ、
リズムをとっていた。

 英男と将男は、部屋の隅で積み木遊びをしていた。
 武男はソファにかしこまって座ったまま、じっとピアノの方を見つめていた。
 この部屋は絨毯が敷かれてあって、ソファとテーブル、そしてピアノが置いてあるだけだった。
たぶん、いつもは、お客様用の部屋なんだろう。
今日は、きっと、トキがボクたちにピアノを見せたくて、特別に入らせてくれているんだ。
武男も、それを感じているから、あんなにかしこまった格好をしているのかもしれないな・・・。

「武男ちゃんも、弾いてみる?」
トキが聞いた。
「オレは・・・」
と言いながら、武男が首と右手を振った。
「なら、雅也さんは?」
「ボクは・・・」
実は、ピアノを幼稚園の頃から習っていた。
でも、ここで弾くべきか・・。
「こいつは、無理です」
武男が、横から口を出してきた。
「いや、何を弾こうか考えていただけだよ、そうだなあ」
そう言って、ボクはピアノの椅子に座った。
夏休みにピアノの発表会があったばかりだから、まだ暗譜した曲を弾くことが出来た。
「素敵!何て言う曲なの?」
トキが聞いてきた。
「懐かしの我がケンタッキーの家・・・これは、演奏会用の簡単ヴァージョンだけどね!」
ボクは、ちょっと、おどけながら答えた。
「やっぱり、雅也さんは面白い人ね。でもスゴイ。どこで習ったの?」
「あ・・お母さんが、ピアノの先生だったんだ」
ボクはウソをついた。
 この時代のピアノ教室は、どんなものかよく知らなかったから・・・。

 ボクがソファの方に向き直ったとき、武男はプイッとアゴを上に向けた。
武男の悔しそうな顔を見て、ボクは、ちょっぴり嬉しくなった。
なぜって、同い年なのに弟や妹の面倒をよくみて、ちゃんと仕事をして、
いつもは頼もしい兄って感じの武男が、今、初めてボクと同じ小学6年生の男子に見えたから。


 その後、ボクたちは庭に出て、「かごめかごめ」や「だるまさんがころんだ」をして遊んだ。
 おやつには、さいころ型に切ったさつまいも入りの蒸しパンがでた。
その蒸しパンを持ってきてくれたのは、武男のお母さんだった。
「亀山さんに呼ばれて、私も、さっき来たのよ。さつまいもが沢山、台所に
あったし、粉もあったから、作ってみたの、おいしいといいんだけど・・」
 武男のお母さんは、今日は畑仕事の服装ではなく、白い半袖ブラウスに
涼しそうな生地で出来た紺色のスカートをはいていた。
実は、とてもきれいな女の人だったんだと気付いた。

 ボクのお母さんは、ふだんジーンズにTシャツ姿だけれど、ボクや里奈のピアノ発表会の時や、ボクたちをお婆ちゃんに預けて、お父さんと出かける時は、ちょっと女らしい服を着る。
 里奈が発表会で着る服を買うときに、必ずお母さんは自分の分も新しい服を買うんだ。

 作りたてホカホカの蒸しパンは、本当においしかった。
そんなボクたちを武男のお母さんは、微笑みながら見ていた。
「トキさん、もう一ついかがですか」
一つ食べ終わって、この場所を離れようとしているトキに向かって、武男のお母さんが聞いた。
「私は、もうお腹いっぱいです」
なんとなくトキの言い方は、つっけんどんだった。
武男のお母さんは、少し寂しそうな顔に見えた。

「もう一つ食べたいなあ」
ボクが言うと、
「どうぞ召し上がれ。男の子は沢山食べて、力つけないとね」
とお母さんは言いながら、蒸しパンを一つ、ボクにくれた。
「ボクも食べる!ボク、タケ兄ちゃんより大きくなるんだ」
将男も取りにきた。
「英男さんも、いかがですか」
一つ英男の方に持ってきながら、お母さんがたずねた。
英男はウンとうなずき、受け取った。
「英ちゃん、お夕飯食べられなくなっても知らないからね」
トキが、離れたところから声をかけてきた。
「ボク、お姉ちゃんより大きくなるんだ」
英男が、大きな声で言った。
ボクは、初めて英男の声をまともに聞いたような気がした。

「かっちゃんも、もう一つ」
まだ食べ終わらないうちに勝子が、もう一つ取ろうとした。
「まあ、かっちゃん、お行儀悪いですよ」
お母さんが、”いけません”と言う代わりに、手で蒸しパンを伏せた。
その隙間から、武男が、もう一つ取って食べはじめた。
「タケ兄ちゃんは食べるのが早いから、かっちゃん負けちゃう」
「ちゃんと、お前の分もあるから大丈夫だよ、ゆっくり食べな」
ようやく、いつもの武男らしい表情を見たような気がした。

 今朝から武男は、何か考え事をしているようにボクには見えていたから。
みんなが食べ終わったとき、英男が言った。
「ボクが大きくなったら、病院で眠っているお母さんは、戻ってくる?」
誰からも、答えが返ってこない。
「かっちゃんのお父さんと、一緒に帰ってくるといいね」
勝子が答えた。
二人以外は、みんな暗い表情になった。
そうか、トキと英男のお母さんは、きっと何か重い病気で、長い間入院しているんだ。
5歳の英男と勝子には、よく知らされていないんだ。


 その時、使用人頭の山本さんとお手伝いさんの女の人が、ボクたち子どもを河原に連れていってくれると誘いにきた。
 河原で魚を釣って、みんなで飯ごう炊飯をしようということみたいだ。

 荷物をみんなで分担して持って、河原まで歩いていった。
川の水は澄んでいて、とてもキレイだった。
魚が泳いでいるのも、よく見ることができた。

 最初、ボクたちは下着姿になって川で水遊びをした。
水から上がって、河原を走りまわっているうちに服は乾いてしまった。
 その後、山本さんが用意してきた網や釣りの道具で、男のボクたちは魚を捕まえることになった。

 お手伝いさんとトキや勝子や英男は、河原に落ちている枯れ枝を集めたり家から持ってきた焚き付けを出して、火を燃やす準備をした。

 次に、持ってきた3つのハンゴウにお米を入れて、川の水でといだ。
それらをみんなで作ったかまどに吊し、その下に焚き付けになる小枝や新聞紙を重ねて火をつけた。

 魚を捕る武男たちも、ご飯を炊くトキたちも、子どもなのに手際が良かった。
 ボクは、なかなか魚が釣れなくて、川面を飛んでいるトンボをしばらく眺めていた。
 学校のプールサイドで、立たされていた時のことを思い出した。
そこへ
「雅也君は、これを使うといいかもね」
と山本さんが、ザルを持ってきた。
 田舎のおじいちゃんが、ドジョウすくいの踊りをする時に使うザルみたいだった。でもそのザルのお陰で、ようやくボクも1匹捕まえられた。

 捕った魚を弱火でじっくり焼いたのと、お手伝いさんが家から持ってきた
キュウリと味噌、そしてハンゴウで炊いたご飯を河原に座って、みんなで食べた。
 ご飯は、たまに堅いところがあったけど、噛むごとに口の中いっぱい、おいしさが広がる感じがした。
 魚も弱火で、じっくり焼いたお陰で、ふっくらした食感で、ほっぺが落ちそうなくらいおいしかった。
 キュウリは、今朝畑で採ってきたもので、一人1本ずつ手に持って、味噌を付け食べるんだけど、コリっていう音が楽しくて、子どもたちは順番に、コリッシャキシャキ、コリッシャキシャキ、と音を立てながら食べた。

 まるでボクたちは、山本さんがお父さんで、お手伝いさんがお母さんの大家族でキャンプに来ているみたいだった。
 武男のお母さんも、来れば良かったのにな・・・。
 後片付けが終わる頃、うっすらと辺りが暗くなり始めた。


 家に着くと、玄関で、トキたちのお父さんである亀山さんが出迎えてくれた。奥から、前掛けでぬれた手を拭きながら、武男のお母さんもやって来た。
 ボクたちは武男の家に帰るんだろうと思ったら、トキがどうしてもと、お願いしてきて、ボクが再び、『懐かしの我がケンタッキーの家』をピアノで弾くことになった。
 今度は亀山さんと武男のお母さんも聞きに来て、ボクが弾き終わると、みんな大きな拍手をしてくれた。
 ボクは、何だかスター気分だった。
 帰るとき、トキが玄関まで見送ってくれた。
「今日は、みなさん、遊びに来てくださってありがとう。雅也さん、またピアノを弾きにきてね」
ボクは何だかうれしくて、ニコニコ、ヘラヘラ笑ってしまった。
「ごちそうさまでした」
武男が挨拶をすると、早く出ろよ、と言わんばかりに、ボクを引っ張って玄関の外に出した。
「痛いな、何するんだよ」
ボクが怒ると、
「男が、ヘラヘラ笑うな」
と武男が言ってきた。
「武男、焼いてるんだろう、トキのこと好きなんだろう」
とボクが、からかうと、眠った勝子をおんぶしたまま武男が追いかけてきた。
ボクは、急いで門まで走った。

 そこには、勝手口から出てきた武男のお母さんが立っていた。
「武男、勝子が起きちゃうわよ」
武男が、キューブレーキをかけたように止まった。
セーフ、助かった〜。
武男が、こんなに本気で追いかけてくるとは思っていなかった。



 次の朝、ボクは武男に起こされた。
「今日から学校へ行くぞ。お前のことは、亀山さんから学校の校長先生に話してもらってあるから、オレと同じ組で勉強するんだ」
 ボクは、ランドセルとプールバックを持って家を出た。
 勝子とお母さんが、見送ってくれた。
「いってらっしゃーい」
勝子は、ボクがあげた犬のマスコット人形を片手に持っていた。

 先週は亀山さんちの手伝いがあったから、武男は学校を休んでいたらしい。
どの子も家の畑仕事など、人手が必要な時は学校を休むらしい。

 ボクは、将男が小学2年生だということを今朝知った。
もっと年下に見えた。
同じ学校の4年生に、トキもいた。
「雅也さんも今日から、この学校に通えることになったのね」
ボクの勘違いかもしれないけど、何となくトキは、ボクを見て喜んでいるように思えた。
でも武男に悪いな・・・。チラッと、隣りに立っている武男をのぞいてみた。
まるで聞こえないふりをして、窓から校庭の方を眺めていた。
「そしたら、また家に来て、ピアノを弾いてね」
トキはそう言って、自分の教室の方へ歩いていった。


 ボクと武男は、6年1組の教室に入った。
 担任の先生は、高橋先生といって若い男の先生。
まだ学生っぽく見えた。
教室に生徒がそろうと、先生が自己紹介を始めた。
なんでもまだ、本当の先生の免許を持っていないようなことを説明していた。
戦後1年足らずでは、学校もゴチャゴチャしているんだろう、とボクは大まかに先生の話を受け止めていた。
「先生、なんで自己紹介なんかするの?」
誰かが、口をはさんだ。
「今日から、1組の仲間になる子がいるからです。えっと、山田雅也君」
先生がボクの方を見ると、みんなも一斉にボクの方を見た。
「前にきて、挨拶してください」
突然のことで焦った。

 みんなが、ボクを上から下までジロジロと眺めた。
多分、着ている服もボクの髪型も、何となく違っているからだと思う。
イヤ、明らかに違っていた。

 男子は髪が短くて、白の半袖シャツと短パンを着ている子が多い。
 ボクも昨日までは、武男の白いシャツを借りていたけど、今日はボクのTシャツ。青くてサッカーチームのロゴが入ったやつを着て、ズボンは膝丈ぐらいで、ポケットが沢山ついているやつをはいていた。
 ボクには、このクラスの男子が、みんな同じように見えた。
 
女子は、髪を結んでる子もいるし、短い子もいる。
服は、あっさりしたブラウスにスカートやワンピースの子が多い。
とにかくみんな、あっさりした感じだった。
「早く挨拶しろよ」
しばらくボーっと立ちすくんでしまったボクに、武男が声をかけた。
 ボクは名前を言って、自分の好きなスポーツや食べ物を紹介して・・・
後は、あまり記憶にない。

 教壇から眺めると、みんなが持っている筆箱もえんぴつもノートも、みんなデザインや色が、素朴なものばかりだということに気がつく。夏休みの親子工作会で、お父さんとえんぴつをナイフで削ったことがあるけど、この1組の子たちが持っているえんぴつは、みんなナイフで削ったものだ。
 口をポカーンと開けて、ボクの話しを聞いている子が沢山いた。
 席に戻ると、授業が始まった。
 机は木製で、細長いのを2人で使う。
机の上側は、取り出しの出来るフタになっていて、そのフタを上へ開けて、中の教科書や筆箱を出し入れするようになっていた。

 教科書も何だか地味に見えた。
ボクが、いつも学校で使っている教科書には、もっと写真やカラフルな絵が沢山載っている。


 休み時間は、高橋先生も校庭に出てクラス全員で鬼ごっこをした。
ようやくボクも、クラスの一員になれた気がした。
一緒に遊ぶと、みんな同じ6年生なんだって感じがした。
 きっと他の子たちも、ボクのことを同じなんだって感じてくれたのかもしれない。
高橋先生も1組のみんなも、よく笑った。


 給食には、ビックリした。
牛乳の代わりに脱脂粉乳というのが出て、ほとんどの子が「ウェー」と言いながら飲んでいた。
ボクは、思わず吐きそうになったけど我慢した。
いつも食べていた給食が、懐かしい。

 ボクが元々いた時代のクラスメイトは、今どうしているかなって思ったら、少し寂しくなった。


 帰りは、門で待っていた将男と武男と3人で、近くの川に寄ることになった。
「オレと将男が魚を捕るから、お前は捕った魚を見ていろよ」
いつものように、武男が偉そうに指示してきた。
「将男、バケツはどうした?」
「あっ、忘れた」
「どうするんだよ」
武男が怒った顔をした。
ボクは、とっさに自分のプールバックを差し出した。
「これに入れるといいよ。しばらくの間なら、水、もれないと思うから」
「いいのか、じゃあ使わせてもらうな」
ボクは、プールバックの中身をランドセルにギューギューに詰め込んだ。

 武男と将男は、慣れた手つきで小魚をザルで捕っていった。
 捕った魚を持って、ボクたちが来たのは亀山さんちだった。
武男が勝手口から入って、お手伝いさんに魚を渡した。
「オレんちの魚も一緒に料理してくれるみたいだから、雅也、先に帰ってていいぞ。魚が料理出来るまで、オレと将男は、山本さんの手伝いをしているから」
「ボクも手伝うよ」
家では、こんなセリフ言ったことない・・・、でも今は、なんだか自然に”手伝うよ”という言葉が出てきた。
「亀山さんの畑から枝豆を取っていいって言われたから、お前は、そっちを頼む。枝豆のなってる畑は、オレとお前が初めて会った所だから、分かるだろ」
そう言って、武男は、ボクのプールバックを渡した。
「オーケー、じゃあな」
ボクは、プールバックを持っている方の手を挙げた。
「ありがとうな・・・その袋のこと、ちょっと魚臭くなったけど、ごめんな」
武男が言うと、バケツを忘れた将男も申し訳なさそうな顔で、坊主頭をかきながらボクの方を見た。
「ドンマイ!気にするなって、じゃあな」
ボクはもう1度、手を振った。


 畑に着いてボクは、枝豆をどうやって取って良いのか聞くのを忘れたことに気が付いた。
 もう1度亀山さんの家に行こうか、どうしようか悩んでいると、ポツリと雨が顔にあたった。
 あっという間に、大粒の雨が降り出してきた。
ボクは、慌てて畑の真ん中にある小屋に駆け込んだ。
 雨が、どんどん激しくなってきて雷も鳴り出した。
古い材木で建てた小屋の屋根に、今にも穴が空きそうなくらい激しい雨が打ち付けた。
 高い建物がないこの辺だと、稲妻も恐ろしいくらい、すさまじく見える。
広場の木に雷が落ちるって聞いたことあるけど、この小屋は大丈夫かな・・ふと不安が襲った。

 その時、再びものすごい光の稲妻が見えて、ボクは怖くて両手で頭をかかえ身を縮めた。


 雨の音が聞こえなくなった。
雷の音も、かすかに遠くで鳴っているぐらい。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、プールバック落ちてたよ」
声のする方を見ると、妹の里奈がボクのプールバックを持って小屋の中に入ってきた。
「これ、なんか臭いよ」
里奈が、汚い物でも触るように持ってプールバックをボクに渡した。
「さっきまで魚を入れておいたからな、あっ枝豆取って帰らなきゃ・・・えっ、里奈、お前、どこから来たんだよ」
「里奈、お兄ちゃん居た?」
お母さんが、小屋を覗いた。
「雅也、プールバック公園に放り投げて、何してたの」
「枝豆取って入れようとしたら、雨が降ってきて・・・」
「枝豆?公園に枝豆なんてないわよ」
「公園!?えっ、お母さん、どうしてここにいるの?」

ボクは、小屋の中から外にいるお母さんを覗いた。
「なに寝ぼけたこと言ってるのよ、里奈のピアノの帰りに通ったら、雅也のプールバックが落ちてるのが見えたから、どうしたのかと思って・・・中身の水着やタオルはどうしたの?まさか、学校に忘れたんじゃあないでしょうね!今日は、最後のプール授業だったんでしょう、早く洗濯しないと臭くなるわ」
「もう臭いよ、お魚入れておいたんだって」
里奈が言った。
お母さんがボクからプールバックを取って、臭いをかいだ。
「ウッ、何これ、生臭い! ヤダー」
ボクは、里奈と一緒に小屋から出た。
 そこは、いつもの公園だった。
小屋と思っていたのは、子どもが遊ぶプラスチック製の家だった。
「あっ、トンボ!待って〜」
「里奈、長靴はいてるんだから、転ぶわよ」


 ボク、無事に元の世界に戻れたんだ!
 お母さん、ボクのこと心配してなかったのかなあ・・・。
家に着くとボクは、すぐに自分の部屋へ行って、いったい何が起こっていたのか、よく考えることにした。
武男の家で過ごした、あの時間は何だったんだろう。
確か1週間ぐらいは、武男たちと暮らしていたと思ったけど・・・。
でも、お母さんはボクが居なくなって心配した様子は全然なかったし、今日は学校でプールが最後の日って言ってたもんなあ・・・
ボク、ただ夢を見ていただけなのかなあ・・・
でもプールバックの生臭さは、確かに武男が亀山さんに持っていく魚を入れたからだ、あ〜、もう分かんない!
「お兄ちゃん、ご飯よ」
階段の下から、里奈が呼んだ。

おっ、この臭いはカレーだな!
「やっぱり、カレーだ!久しぶりだなあ〜」
台所に入るなり、ボクは叫んだ。
「何言ってるの、昨日の残りよ」
お母さんが言った。
「里奈、残り物カレー大好き!」
そっか、武男の家でスイトンやおにぎり、取れたての生野菜を食べていたから、ボクの家で昨日がカレーって事、すっかり忘れてた。
「雅也、今日、学校で何かあったの、いつもと違う感じがするわ・・・さっきだって、玄関で上がったとたん、靴の向きをちゃんと変えていたし・・・勿論それはいい事なんだけど・・」
「別に、何もないよ、じゃあ、いただきます」
ボクが、軽く頭を下げてから食べはじめると、
「やっぱり、雅也、いつもと違う」
お母さんが言った。
「ウマーイ、やっぱカレーは最高だね」
ボクは、カレーの味に感激した!
「安心して、明日も残り物カレーになると思うわ。今日もお父さんは仕事が終わらないみたいで、コンビニで、おにぎりを買って食べるってメール来てたから・・・」
 お母さんは、ちょっと寂しそうだった。

 武男のお父さんは、どうしただろう・・・そんな事がフッと心に浮かんだ。
「お母さん、近所に金持ちの亀山さんって家あるでしょう。あそこって、誰が住んでるのかなあ、子どもはいるのかなあ」
「さあ、よく知らないけど・・・そう言えば、誰が住んでいるのかしらね、お庭にきれいな花が沢山咲いているのよね〜私も、ウチの庭をあんな風に花でいっぱいにしてみたいわ」
カレーを食べながら、お母さんは乙女のような眼差しで遠くを見つめていた。
ほぼ実現不可能な話をするときの、お決まりポーズだ。

「あそこの庭で咲いている朝顔って、ちょっと変わっててステキなのよね〜。誰か、優しそうな人が庭にいたら、種をいただけませんかってお願いしようかと思っているんだけど・・・」
こんな感じでボクのお母さんは、よくしゃべる。


 夕飯後、ボクはお風呂に入った。
あ〜、気持ちいい。
フッと武男の家族と一緒にお風呂に入ったのを懐かしく感じた・・・
待てよ。さっき思い出したスイトンやおにぎりを食べたこともそうだけど・・・、ボクって、本当に武男って子たちと一緒にいたのかなあ・・・本当にスイトンを食べて、お風呂にも入っていたのかなあ・・・。



 次の日の午後、ボクは妹の里奈と留守番をしていた。
「お兄ちゃん、おままごとしよう」
里奈が、おままごとセットが入った大きなかごを引きずりながら持ってきた。
 ボクは、誕生日に買ってもらったゲームを早くクリアしたかったから、リビングのソファに寝そべりながら一人で遊びはじめていた。
 おままごとの相手なんて面倒だなあと思ったけど、里奈が騒ぎ始めると、もっと大変だから、
「お兄ちゃんは、風邪を引いて寝込んでいるから、里奈、おいしいご飯を作って、ここに持ってきてくれ」
そう言って、おままごとにも参加することにした。
「ハーイ、お姉ちゃんが、おいしい物たくさん作ってくるからね。雅也、おとなしく寝てるのよ」
どうやら、ボクは弟になったらしい。

里奈は、リビングの床におままごとセットを広げて、空想の台所で料理をしはじめた。
やれやれ、これでしばらくはゲームに集中できるぞ。
 1ステージクリアできたとき、里奈のことを思い出した。
ずいぶん集中して一人でおままごとをしているらしい。
ボクは、ソファから起きあがって里奈の方を見た。

「まあ、おいしい桃のゼリーですわ、私が作ったプリンもどうぞ召し上がれ」
里奈は、床の上に敷いたレジャーシートの上に座りながら、おもちゃの桃を食べる真似をしている。
 まるで自分の前に人がいるみたいに、おもちゃのプリンを差し出した。
「ねっ、おいしいでしょう。このプリンは高級卵で作ったのよ」
「お兄ちゃんにも、高級プリン食べさせろよ」
そう言ってボクは、おもちゃのプリンを取ろうとした。
「ダメ、お兄ちゃんは、あっちに行って。これは、かっちゃんのプリンなの!」
どうやら里奈は、かっちゃんという空想の友だちと、おままごとをしているらしい。
フン、せっかく遊んでやろうと思ったのに!

「えっ、雅也さんも仲間に入れてあげるの〜」
里奈が、空想のかっちゃんと話してる。
「別に、仲間になんか入れてくれなくていいよ。一休みしたらまたゲームするんだから」
ボクが言うと、
「かっちゃんが、どうしてもお兄ちゃんと遊びたいんだって。ハイ、この塩むすびは、お兄ちゃんのために作ったんだって、ここに座って食べて」
里奈が、ボクにもレジャーシートの上に座るように手で示した。

 仕方ない、しばらく相手してやるか・・・ボクはレジャーシートに座った。
「雅也さん、こんにちは。私、勝子です」
声のする方に、向き直った。
「武男の妹の勝子ちゃんか?」
ボクは、ビックリして大声で聞いた。
「はい、覚えていてくれましたか?あの時は、子犬の人形をありがとうございました」
勝子は、静かに頭を下げた。
姿はあの時のままなのに、ずいぶんと大人びて見えた。
「かっちゃん、私のお兄ちゃんのこと知ってるの?」
里奈が聞いた。
「はい、私のお兄さんとお友だちなんです」
「今度は、かっちゃんのお兄ちゃんも一緒に遊びにきてね」
里奈は、すっかり勝子と友だちになった様子だった。
ボクは、何だか不思議な感じがした。
今度は勝子が、ボクのいる時代に来るなんて・・・。

 その時、
「あら珍しい、雅也が里奈のおままごとに付き合ってあげてるなんて」
と言いながら、お母さんがリビングに入ってきた。
「ママ、里奈、かっちゃんとお兄ちゃんとおままごとして遊んでるの」
里奈が言うと、
「かっちゃんって誰?」
とお母さんが聞いた。
「お兄ちゃんのお友だちの妹」
里奈が答えた。
「そう、よかったわね〜」
お母さんは、そう言いながら買い物の中身を冷蔵庫にしまい始めた。
勝子に挨拶もしようとしない。
「はい、ノド渇いたでしょう」
と言って、お母さんはボクと里奈に紙パックのジュースを持ってきた。
「ママ、かっちゃんにもジュースあげてよ」
里奈が、自分の前に座っている勝子の方を手で示した。
「あら、ごめんなさい、気が付かなくて・・・」
と言って、お母さんは手にもう一つジュースを持っている振りをして、
「かっちゃん、どうぞ」
と言いながら、ジュースを置く真似をした。
「ママ、本当のジュースを持ってこないと、かっちゃんが、かわいそうでしょう」
里奈が言った。
「里奈ちゃん、かっちゃんは本当にはいないんだから、うそっこのジュースでいいでしょう」
そう言いながら、お母さんはリビングを出て行ってしまった。

 いつの間にか勝子は、リビングの掃き出し窓から庭に出ていた。
「里奈ちゃん、私、もう帰らないといけないの。今日は一緒に遊べて、楽しかった。呼んでくれて、ありがとう。雅也さんも、ありがとう、お元気でね」
「バイバイ、また来てね〜」
里奈が手を振ると、勝子も手を振った。
「あっ、お兄ちゃん、トンボ飛んでるよ」
里奈は、勝子との別れを特に惜しむ感じもなく、ジュースを飲みながら、
庭にいるトンボを眺めていた。


「雅也、お母さん、さっき亀山さんちの前を通ったらね、庭に年とった男の人がいて、朝顔の種を取っているのよ!私にも分けてくださいって心の中で叫んだんだけど聞こえるわけないわね〜。どうすれば、あの珍しい朝顔の種を分けてもらえるかしら・・・」
お母さんが、ボクに何かアイディアが無いか求めてきた。
「素直に、種、分けてくださいって言えばいいんだよ」
「私、そんな事言えないわよ〜。」
「じゃあ、ボク、頼んでみるよ」
亀山さんちに行ってみたい気がした。

 ボクが本当に戦後まもない頃に行ったのか、武男たちと過ごしたのか・・・、そして、さっき勝子が現れたことについて、何か手がかりになることが見つかるかもしれないと思った。



 ボクは亀山さんちの門の前に来て、少し緊張した。
 インターホンを鳴らそうか、どうしようか迷っていると、家の方から、かすかにピアノの音が聞こえてきた。
”懐かしの我が家ケンタッキー”だ。
ボクは門の前で、じっとピアノの音に耳を傾けていた。
「何かご用かな」
突然、後ろから声を掛けられた。
振り向くと、年をとった男の人が立っていた。
「あの・・・ボク・・・お母さんが、ここの家の庭に咲いている朝顔が珍しい色をしているから、種が欲しいって言うので、分けてもらえるかなあって思って来ました」
「キミはどこに住んでいるの?」
その男の人が、聞いてきた。
「向こう側の建て売り住宅の一つに住んでいます」
「あ〜、洋風の素敵な家が並んでいるよね、まあ、どうぞ、入って。朝顔の種ならたくさんあるから、分けてあげますよ」
「ありがとうございます。あの・・・あなたは亀山さんですか?」
「そうですよ。で、キミの名前は?」
「ボクは山田雅也です」
この人の名前も聞いてみたいな・・・と思った。

 門を入って庭の方に案内された。
ここ、来たことある・・・この感じ・・・。
 みんなで、つまり武男や将男、勝子や英男、トキと遊んで蒸しケーキを食べた所だ。
「ここに座って待っていて、今、種を持ってくるから」
亀山さんが、縁側に座るよう手招きをしてくれた。

ピアノの音が止まって、年をとった女の人が縁側にやって来た。
「まあ、遊びに来てくださったの・・・ね、見て、この子犬、可愛いでしょう」
そう言って、そのおばあさんは古くさい子犬のマスコット人形を見せた。
「これは・・・」
ボクが勝子にあげた物だ・・・。
ボクが、じっと子犬のマスコット人形を見ているところに、亀山さんが戻ってきた。
「トキさん、ここにいたのかい。奥で休んでいた方がいいですよ」
「でも、せっかく雅也さんが来てくれたんですもの・・一緒に遊びたいわ」
「トキさんの好きな時代劇が、テレビでやってますよ」
「そうだった、雅也さん、ごめんなさいね。また来てね」
そう言うと、おばあさんは奥へ行ってしまった。
あれは、あの時のトキなんだろうか・・・。
「ごめんなさいね。家内はボケてるから、時々子ども時代に戻ったみたいに話したりするんですよ」
少し寂しそうな顔をして、亀山さんが言った。

「いえ、でもどうしてボクの名前を知っていたんだろうって思って・・」
ボクがそう言うと、
「たまに、すごく昔のことをハッキリと思い出したりするんですよ。そう言えば、ちょうどキミぐらいのとき、私の妹に、この子犬のマスコット人形をくれた男の子がいてね・・・キミの名前、雅也っていうの?あの時の子・・・あの子の名前も雅也、だったかな・・・」
亀山さんは、昔の古い記憶をたどるような表情で話した。

「妹って、勝子ちゃんのことですか?」
ボクが聞くと、亀山さんは驚いた顔をしてボクを見つめた。
「そうだよ、どうして私の妹のことを知っているんだい?」
「ボクが勝子ちゃんに、そのマスコット人形をあげたからです」
思い切って言ってみた。
でも亀山さんは、よく理解できないというように頭を傾けた。
「ボクがあの時、武男と会って、武男の家に着いたとき、勝子ちゃんにあげたんです。武男は弟の将男におもちゃのショベルカーをあげたんだけど、妹には何もお土産が無かったから・・・」
「そんな・・・キミがあの時の男の子・・・雅也なのかい」
亀山さんは、まだ信じられないといった感じで恐る恐るボクに話しかけてくる。
「そうです。ボク、戦後1年ぐらいの日本に、タイムスリップしちゃったんです。おじいさんは武男、あっ武男くんですか?」
「そうだよ。でも、さっぱり分からない・・・タイムスリップなんて、漫画の世界の話かと思った」
そう言うと、また亀山さんは頭を振った。

 ボクは、あの時のことを色々と話して聞かせた。
亀山さんは、そうそう、そんなこともあったなあ・・・と遠い記憶を少しずつ思い出してきたようだった。
「あの時、キミが突然いなくなってしまって、みんな心配したんですよ。でも、きっと、おじさんと出会えたんだろうって思うことにしたんです・・・しばらく寂しかったなあ、雅也がいなくなって・・・」
そう言った亀山さんの横顔は、あの時の武男の顔だった。

「昨日、ボクの家に5歳の頃の勝子ちゃんが、遊びに来たんです。ボクの妹と3人で、おままごとをして遊びました。でもボクのお母さんには、勝子ちゃんの姿は見えないみたいでした」
亀山さんはボクの話に驚いた様子で、でも真剣な顔で聞いてくれた。
「勝子は、和裁と洋裁の学校に進んで、卒業後は、ヨーロッパに渡ったんだ。しばらく、洋服を作る勉強をしていたんだけどね。テディベアのことが、すごく気に入って、その勉強もして・・・、日本に帰国後は、小さなお店と教室を持って、結婚もして、子育てをしながら頑張っていたんだよ。でも、ちょうど1年前、66歳で他界したんだ。来週のお彼岸は、勝子の命日なんだ・・・キミがくれた子犬のマスコット人形は、あの後すぐに無くなってしまってね。勝子はショックで、しばらくシクシク泣いていたなあ・・・」
亀山さんの話が途切れた。

「これは、どこで見つけたんですか?」
ボクが尋ねた。
「キミの家も建っている土地を住宅街にして売ろうと思って、色々と家の中を整理していたら、古い箱の中から、このマスコット人形が出てきたんだ。その箱は、トキの物でね・・・勝子が物を作ることに興味を持ったのは、この子犬のマスコット人形との出会いと別れも影響していると思うよ」
ボクは、少し複雑な気持ちだった。

「来週の彼岸入りに勝子の墓参りに行くんだけど、一緒に、どうだい。すぐ近くのお寺なんだ・・・あっ、今の子は、墓参りなんてしないのかな」
「いえ、そんなことないです。夏休みとか、田舎に帰ったときは、みんなで、お墓掃除してから、お参りします」
 来週の約束をして、ボクは家へ帰った。


 早速、お母さんに朝顔の種を渡そうとすると、
「雅也、やっぱり亀山さんちは行かない方がいいわ。今日、聞いたんだけどね、ちょっと頭の、おかしいおばあさんが居るみたいなのよ。おじいさんは、ケチっぽいし・・・」
ボクは、種を持っていた手をさりげなくポケットに入れた。

 当分、お母さんには亀山さんちに行ったことを言わない方が良さそうだと思った。
「そう、なら辞めておくよ」
そう言ってボクは、自分の部屋に走っていった。



 約束の日、ボクは、おじいさんになった武男と一緒に勝子のお墓参りをした。
「将男や英男は、どうしていますか?」
手を合わせた後に、ボクはフッと、二人のことが気になった。
「将男は、建築関係の仕事をしているよ。キミが住んでいる建て売り住宅の家も、将男の会社に頼んで建ててもらったんだよ。英男ちゃんは、勝子がフランスに渡るとき、自分は料理の修業をしてくるって、一緒にフランスへ行ったんだ。てっきり、二人は結婚するのかと思っていたら、別々の相手と結婚して・・・今、思ったんだけど、あの二人は、お互いが良きライバルのような存在だったのかもしれないね、私の父は、結局戦地から戻らなくて、経済的に亀山さんには大変お世話になったんだ」
「お母さんは?」
「母は、80で亡くなったんだ。ずっと、この亀山の家の手伝いをして暮らしてましたよ。トキさんの母親は長いこと寝たきりでしたが、戦後5年目の春に亡くなりました。父親は74で亡くなりました。私の母は、トキさんの父親に再婚を申し込まれたのですが、断ってしまいました。そのうち、私とトキさんが結婚することになったんですがね」
武男は、ちょっと照れながら話した。


 その後、ちょっと家に寄っていかないかと武男に誘われたので、一緒に亀山さんの家に行った。
 ちょっと待っていてと言われたので、縁側で待っていると、武男が物置から何か出してきた。
「いっしょにやらないか」
そう言って、グローブをボクに渡した。
たまに遊びに来る孫のために買った物だそうだ。
「もちろん、相手になるよ」
ボクは、あの時みたいに武男とキャッチボールをした。
おじいさんになっても、まだまだ武男の投げるボールにはパワーがある。

 帰るとき、ボクは一つ提案してみた。
「朝顔の種、もし沢山あるなら、小学校や幼稚園に分けてあげたらどうかなあ」
「それは、いい考えだね。朝顔以外にも、いろいろな種が沢山あるから、持って行ってみようかなあ、でも知り合いがいないからなあ」
「きっと、みんな喜ぶよ。ボクが付いていくよ、じゃ、また来るね」
「また、いつでも遊びにおいでよ」
武男は、そう言って手を振った。
 ボクも、大きく手を振った。
同い年の友達にするように。





「あとがき」

 この物語のアイディアが浮かんだのは、わが子が小学生で、社会の宿題
に取り組んでいるときです。
 宿題の課題は、「昭和20年代、30年代、40年代の生活を調べる」でし
た。
 近所に住む70歳代の方々に、わが子がインタビューしたものを私も読みました。
 学校の机も今と違うとか、小学生の生活(学校や家での過ごし方)の変化などを発見し、興味深かったです。
 それらを読んでいるうちに、この物語の世界が、どんどん膨らんでいき
ました。
 タイトルは何にしようか、ずっと悩んでいました。
このあとがきを書きはじめて浮かんだ「雨やどり」にしました。
一緒に雨やどりをした者同士は、雨が止むまでの間だけ、それきりの縁かもしれまいけれど、全く別々の人生の中で、ほんの少しでも一緒にいたというのは、やはり何かの縁だなあって感じます。



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